「呪われた宝石」の伝説で有名な「ホープダイヤモンド」
「ホープダイヤモンド」と呼ばれるブルーダイヤモンドがあります。現在は、アメリカのスミソニアン博物館にある国立自然史博物館に所蔵されている45.5カラットのブルーダイヤモンドです。
このダイヤモンド、持ち主を破滅に追い込んでは、また次の持ち主の手に渡る「呪われた宝石」の伝説で有名です。
呪われた宝石伝説の歴史
このダイヤモンドが発見されたのは9世紀頃。
ダイヤモンドの産地として知られていたインドのコーラルという町を流れる川で、マデアという農夫が見つけました。マデアは、このダイヤモンドが後に大変な価値になるとは知りませんでしたが、珍しい石だったので自宅に持ち帰ったのです。当時このダイヤモンドは、112.5カラットもの大きさがあったと言われています。
しばらくして、この地に侵攻してきたペルシャ軍に、このダイヤモンドは奪われてしまいます。
ペルシャ軍は、持ち帰ったダイヤモンドを国王に献上しました。
次に「ホープダイヤモンド」が歴史上に登場するのは、17世紀半ばのこと。
フランス人の宝石商人ジャン・バティスト・タヴェルニエが、この「ホープダイヤモンド」をインドのムガル帝国で購入するのです。
ジャン・バティスト・タヴェルニエは、初めてインドを訪れた西洋人とされる人物で、その報告書「六回の旅行記」は、宝石史上で貴重な資料となっています。ジャン・バティスト・タヴェルニエは、ムガル帝国で多くの王族や貴族と親交を深めたそうです。
「ホープダイヤモンド」をめぐる伝説の中では、インドの寺院にあった女神の像の目にはめられていたのが「ホープダイヤモンド」で、ジャン・バティスト・タヴェルニエは、これを盗み出した、とされています。その際、盗難に気付いた僧侶がこのダイヤモンドに呪いをかけたというのです。伝説では、ジャン・バティスト・タヴェルニエも、その後、狼に食い殺された、とされているのですが、実際にはジャン・バティスト・タヴェルニエは84歳で老衰で亡くなったようです。
さて、「ホープダイヤモンド」をフランスに持ち帰ったジャン・バティスト・タヴェルニエは、これをルイ14世に売却します。ルイ14世はこれをカットし、67と1/8カラットの宝石にしました。
こうしてフランス王室に所有されていた「ホープダイヤモンド」ですが、1792年に窃盗団によって盗まれてしまいます。
それから20年後、「ホープダイヤモンド」はイギリスの宝石商が手に入れていましたが、この宝石商は「ホープダイヤモンド」を入手後すぐに落馬で死亡したそうです。
その後「ホープダイヤモンド」は、転々と所有者を変え、現在のスミソニアン博物館に落ち着いているそうです。