ロレックスの創業者「ハンス・ウィルスドルフ」の歴史について

2015年12月29日

時計イメージ

ロレックスの歴史は、1905年、当時24歳のハンス・ウィルスドルフが時計販売の専門会社を設立したことから始まります。
彼がどのような過程を経てロレックス社を創設したのか、はたまたロレックスの躍進に導いた彼の経営手腕など、ハンス・ウィルスドルフの人物像や歴史について紹介していきたいと思います。

時計輸出業に携わる

ハンス・ウィルスドルフは12歳の時に孤児になり、19歳の頃にスイスの貿易会社「ラ・ショー・ド・フォン」に入社。
彼は時計の知識と共に輸出のことも学んでいき、事業における彼のセンスは高く、同社において重要なポジションを任されていました。

ここで得た知識や時計を作らずとも上手く輸出することで商売が成り立つという考えは、ハンス・ウィルスドルフにとって非常に有益なものとなりました。
そして時計の知識と経営の知識を携えて、24歳の頃に現在のロレックスの前身となる「ウィルスドルフ&デイビス社」をロンドンに創業したのです。

ウィルスドルフ&デイビス社の躍進

自社となるウィルスドルフ&デイビス社を設立したハンスは、事業拡大のため早々に行動に移しました。
そして彼がとった行動は資本金の5倍相当の金額を使ってムーブメントを発注するという無謀な行動。
1902年から親交があったエグラー社に無謀とも言える額を費やしムーブメントを発注しましたが、商売は上々で、多くの時計を流通させることが出来ました。

また、ただ単にムーブメントをエグラー社から買い付けるのではなく、技術提供や改良点を指摘することにより、同社のムーブメントの正確性が格段に上がり、それに伴いウィルスドルフ&デイビス社も発展していったのです。

エグラー社の快挙

エグラー社はハンスの技術・知識提供により、1910年にビエンヌの歩度検定所において「Class 1」を獲得。
さらに4年後となる1914年には、時計の性能検定において最も難関と言われるキュー天文台で「A」を獲得。
これは腕時計において初となり、エグラー社のクロノメーターは世界的に認められるようになったのです。

この快挙には以前から評判の良かったエグラー社のムーブメントがあったからこそですが、ハンス・ウィルスドルフの支援がなければ達成することが出来なかったのです。

さらなる追求

完璧なまでのムーブメントを共同開発することができたハンス・ウィルスドルフですが、次に課題となったのがケース。
最高品質を誇るムーブメントに劣悪なケースを搭載することは商品価値を落とすことになってしまうため、彼は様々な会社のケースを吟味し、オイスターウォッチカンパニーのケースを採用しました。

時計を自社で作ることなく、他社の部品を使用し、それを輸出販売するという合理的な考えを持っていた彼は、ムーブメントにエグラー社、ケースにオイスターウォッチカンパニーのものを使い、創業間もなくして精度と品質を兼ね備えた腕時計を展開するに至ったのです。
自社開発しない経営スタイルは当時異例であり、いかにハンス・ウィルスドルフが経営手腕を持っていたか、お分かり頂けたのではないでしょうか。