戦後、一気にダイヤモンドが流行
婚約指輪は給料の3ヶ月分!?
日本でも庶民が宝石を装飾品として身につけて楽しむようになったのは第二次世界大戦後だといわれています。欧米の生活スタイルが入ってきたことと、経済の高度成長が重なって、生活にゆとりが生まれたからでしょうか。1960(昭和35)年ごろから結納に婚約指輪を添えるようになりました。結納の目録には、指輪は「結美和」という当て字を使います。これは縁起のいいおめでたい文字を使うためです。ただ、1960年代はまだダイヤモンドを贈る人は少なく、全体の16%程度だったそうです。真珠や誕生石を贈るケースが多かったのですが、ある宝石店の戦略がその流れを一変させました。
1970年代にアメリカのダイヤモンド販売会社デ・ビアス社が「婚約指輪は給料の3ヶ月分」というキャッチフレーズを使って大々的にCMを流しました。高度成長のピークにあった当時の日本でこれが当たり、多くの人がダイヤモンドを贈るべきという意識が生まれていったのです。
実際にそれ以降はダイヤモンドの婚約指輪が増えて、全体の70%にも達しました。また、芸能人の婚約発表では大きなダイヤモンドの指輪を見せながらの記者会見が定番となっていきます。
しかし、バブル崩壊後は、そんな高価な指輪を贈るケースは減っていきました。給料が20万円としても、その3ヶ月分は60万円です。ところが、結婚関連の会社の調査によると、100万円以上の婚約指輪を贈る人は全体のわずか5.3%でした。しかも平均は35万円~40万円程度ということで、とても給料の3ヶ月分も出していないことがわかります。
ダイヤモンドのイメージも流行に貢献
ダイヤモンドといえば地球上でもっとも高い鉱物として知られています。これが「決して壊れない「永遠の愛の誓い」などの婚約のイメージと結びつけて宣伝されたことも、ダイヤモンドの流行に貢献したようです。また、ダイヤモンドの無色の輝きが、「純潔」「純粋」といった花嫁のイメージに重ね合わさって婚約指輪に選ばれるようになったのでしょう。
さらに近年では「サムシングフォー」を、結婚式場や宝石店が紹介しています。これは、「新しいもの「古いもの」「借りたもの」「青いもの」をそれぞれ何かひとつ花嫁が身につけると幸せになれるという西洋のおまじないで、特に「何かひとつ青いもの」としては小さなサファイアを入れた結婚指輪などをすすめています。
装飾品としてだけでなく、幸せを祈る気持ちもジュエリーには込められているようですね。宝石店の宣伝に乗せられることなく、本当に価値のあるものを見つけたいものです。