世界一のダイヤモンドセンター・アントワープ
ダイヤモンドの取引量で世界一の都市はベルギーのアントワープです。 ダイヤモンドの原石の85%、研磨済みダイヤモンドの50%、工業用ダイヤモンドの40%が、アントワープで取り引きされています。また、世界に20ヶ所しかないダイヤモンド取引所のうち、4つがアントワープにあります。 世界のダイヤモンド取り引き、研磨・カットの中心がアントワープなのです。
世界のダイヤモンド産業の中心
アントワープにはダイヤモンド取り引きに関するインフラが整っています。ダイヤモンドの鑑定機関、ダイヤモンド取引専門の銀行、ダイヤモンド専門の輸送会社、研磨用機材の販売などがそれです。
さらには、ベルギー政府が税制面などでダイヤモンド産業を優遇しています。こうしたことがアントワープを世界のダイヤモンド産業の中心にしているのです。
アントワープには正統派ユダヤ人の大きなコミュニティがあるのですが、 ダイヤモンドの研磨器具を発明したローデウィク・ファン・ベルケンがユダヤ系ベルギー人でした。この発明により、ユダヤ人のダイヤモンド研磨職人が多くなったことで、この地がダイヤモンド研磨の中心となり、14世紀末から世界のダイヤモンドセンターとしての役割を果たしてきました。
金融都市として重要な地位を確立
16世紀にはアントワープは、金融都市としてヨーロッパで重要な地位を確立していました。当時の金融産業は、宝飾と密接な関係にあったことから、ダイヤモンド取り引きの中心となっていたアントワープは、金融産業も発達したのです。
ダイヤモンドのカット技術もこの頃から飛躍的に進歩しました。ダイヤモンドの輝きを引き出すカット法の多くは、この頃のアントワープの研磨職人によって編み出されたものです。
当時のフランス国王であったフランシス1世は、パリに専任のダイヤモンドカットの職人を召抱えていましたが、アントワープでカットされたダイヤモンドの素晴らしさを目にしてからは、ダイヤモンドのカットはアントワープの職人を使うようになったそうです。
アントワープの衰退と復活
1582年にはアントワープにダイヤモンド職人のギルドが誕生します。17世紀までは、アントワープのダイヤモンド産業はギルドを中心に動くことになります。
ところがある頃から、ギルドの規制に嫌気を指した職人達が、オランダのアムステルダムに移住し、そこで活発なダイヤモンドビジネスを展開するようになります。これにより、しばらくの間、アントワープのダイヤモンド産業は衰退してしまうのです。
再びアントワープに活気が戻るのは、18世紀後半。フランスのルイ16世が所有するダイヤモンドをカットをアントワープに依頼してきたのです。この出来事により、再びアントワープのカット技術が注目されるようになったというわけです。